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炊き出し第2弾!ただいまです。
みなさんこんばんわ。
ボランティアより無事帰還いたしました。
ただいま、みなさん。
ただいま、suite cafe。
そして今回集まった支援金は¥37577でした。
そして、この場をおかりして…
理解あるsuite cafe オーナーともチャン、ONI社長、りっちゃん、アラレ、まみちゃん、本当に、ありがとうございます。
そして、そして。D-Kちゃんからの支援金。本当に、ありがとうございました。
今回の炊き出しは、7日の夜から始まりました。 メニューを考えたのは、料理研究家の田中稔先生。 お味噌汁、コーンご飯、えびふりゃー、かぼちゃのフライ、人参のフライ、キャベツの千切り。
8日朝、仕事に行く人用のお弁当22個、おにぎり50個、出し巻き玉子、ロースハム、味付け海苔、お漬物、うめぼし、おみそしる、ごはん。
夕食は唐揚げなどなど…
みなさん、震災後初めて食べるものばかり!笑顔も増えます。
夜は、前回の私達の炊き出しが印象的だったのか、顔を覚えてくれていて、どこから出てきたかお酒とつまみで被災者の方たちと飲み会…
津波の話や仮設住宅の状況や郷土料理の話やら家族の話やら…
私は聞き役がほとんどというか、「おねーちゃんベッギーににでるだよ!」とみんなから
「ベッキーベッキー」と連呼され、いじられていました…。w
「ベッキー」ではなく「ベッギー」っていってったなぁ…。
最終日は、9日の朝の炊き出し終了後に、前日と朝の残りの唐揚げや、こふきいも、ソーセージ、手作りおはぎを、避難所の方の了解を得て、石巻にあるボランティア団体「め組ジャパン」のベースキャンプと歌津にあるボランティア団体RQに届けました。
「め組ジャパン」さんはてんつくまんさん主催のボランティア団体。泥だしや、復興に向けての様々な活動を精力的にしています。他の個人のボランティアさんの寝泊りの受け入れもしていました。とても陽気でパワフルなメンバー達でした。
「RQ」さんは歌津中学の避難所の近くにベースキャンプを作っていて、みなさんテント生活です。 避難所のサポート、泥だし作業などなど、こちらの団体もとても真剣に、活動していました。
「RQ」についたのは午後3時ごろ。泥出しのボランティアを少しですがお手伝いして、その後、マイ包丁を持っている私は、料理場に突撃参加し、ジャックしました!
炊き出しagain!
テーマは「ビュッフェパーティー」
「RQ」に参加している「チーム日光」さんの差し入れのカブやらリーフレタスやらを使い、発泡スッチロールの蓋にサランラップをかぶせて大皿の出来上がり。サラダを載せて、他にもサラダを2品 などなど…
ボランティアのみなさん、いつもは「うまいぼう」の納豆味を砕いてご飯にかけてお湯をかけて食べたりしているらしく、すごく喜んでもらえました。うれしいなぁ~
料理人的には、「食が貧しい」という事が悲しくてしかたありません!
そして、やる気を出させます!!
少ない材料で最大限に楽しむ!!
泥だしは肉体労働。汗もかくし、汚れるし、会話もなく、ただ黙々と、広大な津波の被害の瓦礫を片付ける…みなさん、被災者の方たちとの交流を望んでいました。でも、自分にはこの作業が向いている。とある女性の泥だしボランティアさんが言っていました。
泥出だしのボランティアさんたちは精神的にも肉体的にもとても疲れている様に思えました。
ある方は、泥だし作業中にパワーショベルでいくつもの死体を毎日見つけていたそうです。
彼は、とても愉快でみんなをものすごく笑わせる人でした。でも私に一言言いました。
「泥だしって、繊細な作業だからさぁ~」 笑
私には、彼の目は泣いているように見えました。
涙のない、笑顔の泣き顔。
あの目は、何だか忘れられない目でした。
今回の、炊き出しは被災者との交流、それを支援するボランティアとの交流が沢山出来ました。
また違う目線で、東北が見えました。
現在、8月をめどに私達が支援している避難所は閉鎖するとの事。
仮設に住むことが決まっている被災者は7割そのうちのほとんどの人は仮設住宅に住んでいません。なぜならば、仮設に住むということは、自立するということ。
国からの義援金はまだ支給されていません。私は詳しくは調べていないので分かりませんが、生活するのに十分な現金を彼らは支給されていません。
よって、仮設に住んでも生活できないのです。
だから仮設住宅のカギを持ったまま避難所暮らし。移り住んでも、薄い壁で生活しづらく避難所に逆戻り。というケースもあります。
今回行って感じたことに、ボランティアさん達の活動で避難所同士の情報交換が出来始め、物資の物々交換などをいろいろな場所でやっているように見えました。
でもやはり、格差はあり、食材が全く足りない意地域もあるとの事です。
若者総合体育館の避難所は今まで管轄外だと理由で、登米市から少し見放されていましたが、登米市にある避難所全ては今月8日から登米市管轄に正式になったとの報告を受けました。
そして、市の避難所全てに食料とメニューが栄養士の管理のもと配布されることになりました。
あれから3ヶ月もたってからのことです。
いいことですが、行政に対しての疑問は大きいです。
今回を機に、震災時、非常事態時に色々な事の基礎が構築されることを熱望し、私達市民も、ボランティアの横のつながりをしっかりと固めていかないといけないと思えます。
ノースアメリカ、アメリカ、ヨーロッパに比べ、ボランティアに関心の薄い日本はボランティアの仕組みがあまり整っていないし、ボランティアに対しての壁もあるように感じます。
私が望むこと。
「ゲーセン行こうぜ!」 的なのりで全ての人にボランティアの精神が芽生えること。
ボランティアって、ボランティアを支援することもボランティア。ゴミ袋片手に歩道でゴミを拾うのもボランティア。東北支援だけではありません。誰かや、物に対して何か行動をとること。
人に対して、思いやりを持つこと。愛を与えること。
シンプルですが複雑でむずかしい。じゃあ、何でも良いから人が心地よくなることをすればいい。
世界中の人がそうしたら、戦争だってなくせると思う。
反戦運動や反原発運動をするんではない。行政に対して、管直人さんに対して怒るんじゃない。
相手の立場に立って考える。ゆっくり、思いやりをもって。
日本に生まれ道徳の授業を受けてきた私達。他の国には道徳の授業ってないらしい。
道徳心が強い日本人。
私達日本人には出来ることだよ。
難しく考えないで下さい。
一日に、一回でも良いから誰かに感謝することから始めれば自分の何かが変わると思う。
みんなに感謝。今生きていることに感謝。太陽に感謝。バイト君、いつも出勤してくれてありがとう。バイト君に感謝。働けることに感謝。感謝、感謝…
さあみんな始めよう。(via. suite cafe)
90年代半ば、僕はNYに住んでいた。
そこで日常的に目にしてた光景は、 天井こするんじゃないかってくらいのスパイキーヘアーのパンクスが、3~4人で車椅子を持ち上げて階段をのぼってあげたり、
イリーガルな商売してる売人が、ベビーカーの女性を手伝ったり、
不良が社会的弱者を当たり前のように助ける光景で、 当時18歳、不良は悪いことをすると思ってた僕には、凄く新鮮で印象的だった事を今でも覚えてる。
アメリカは間違いも起こすけど、良い部分もある。
日本でボランティアって聞くと、僕もなんだか少し照れるし大それたことのように思える時もあるけど 強い人が自分より弱い人を助けるのは、人として当然のことで その相手が子供や老人、女性であればなおさらだと思う。
それを実践できるベッギーさんには頭が下がる。
僕も見習います。
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2011-06-14(Tue) 00:00 ニュース
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