朝日新聞デジタル(2012年3月2日23時30分)
『東京電力福島第一原発の影響で昨年、福島県から山梨県内に避難してきた子どもの保育園入園が「原発に対する不安が他の保護者から出た場合、対応できない」という理由で断られていたケースがあったと、甲府地方法務局が2日発表した。
法務局によると、自宅近くの公園で子どもを遊ばせようとした際、近くの住民から避難者であることを理由に「遊ばせるのを自粛してほしい」と言われたこともあったという。』
(感想)
これは信じがたい、いや信じたく無いような悲しい話です。日本人は変わってしまったのでしょうか。
これも放射線に対する住民の「無知」が引き起こした悲劇です。
無知とは、人間に間違いや・勘違いや・時には犯罪をも起こさせるものです。
釈尊が仰った、正しく知ること正知(せいち)とは、生きる人間にとっていかに大切かと言うことです。
正しく知るには、物事を中立(中道)の視点から静観する必要があります。
このニュースを中立の視点から再び読んで見ますと、「この」保育園の件は、まだそのようなクレームをした保護者はいないということ。
保育園の経営者は、普通でも経営が厳しい環境なので、何気ない1回だけの発言だったかも知れないこと。
公園の件は、子供が遊ぶ騒音の問題が最初の背景にないのか?
原発憎しの心情が、子供の件でワザと問題を提議したい思想背景が無いのか?
などを静観する必要があります。
さらに言えば、このような報道自体が、問題提議とそれを今後に防止したい思いがあるのかも知れません。
1つのニュースを聞いて、ただ短絡に怒り悲しむのではなく、その背景を「思いやる視点」が大切です。
これは私たちの日常生活、勤務する会社におきましても、色んな腹が立つ問題が誰にでもあるものです。
しかし、その大半が、
1.自分自身の勘違い。
2.相手の立場を想像すると、自分の怒りが収まることもある。
という、忘れていはいけない2つの視点があります。
とくに2番は大切です。
相手を「思いやる視点」で考えますと、自分の怒りが収まる気持ちが湧くことがあります。
会社内を見ましても、温情のない理不尽な発言をする人には、家庭が上手くいっていない、気の毒な問題を抱えている、“誰がしても”苦しい社内立場である、などのケースがありました。
公平なルールでは、個人の私情を仕事や対人関係に反映させて他人に迷惑を掛けることは許されませんが、その満たされない本人の事情を知りますと、自分自身の受け取りかたが違ってきます。
だからもし、自分が嫌なことを他人からされる、言われることがあったならば、これに「乗って」怒るよりも、
「この人は、ナゼそんな嫌なことを言いたく成るのだろうか?」
という、相手を思いやる視点を持つことが大切です。
自分が怒るよりも、相手を思いやる気持ちは、自分自身の体内のガン細胞をも減らします。どんな健康な人間でも、日々に免疫とガン細胞の増減が発生しています。
自分が発する思いやりの視点は、相手を霊的に改善させる作用もあります。思いやりの気持ちは、自分も他人も改善させることが出来るのです。
まず自分自身が、思いやりの気持ちを「出す」ことを意識しましょう。これは最高の開運術でもあります。
生かして頂いて ありがとう御座位ます伊勢ー白山 道
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