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東京電力福島第1原発事故の際、官房長官として政府のスポークスマンの役割を担った枝野幸男経済産業相は27日の参考人聴取で、政府の情報発信が十分ではなかったことは認めた。だが、住民への避難指示に関する政府側と専門家の協議内容など核心部分では「記憶にない」と発言したり、釈明が前面に出たりした。調査委員会の委員からは枝野氏への不信をあからさまにする発言も飛び出すなど、改めて官邸の対応に問題があったことを浮き彫りにした。(坂本一之)
「官房長官が(事実上)広報官の役割を両方やっている。調整と発信を同じ人間がやるのは正直しんどい」
枝野氏は原発事故の教訓として、内閣の調整役である官房長官が同時に政府のスポークスマン役だったことへの限界を訴えた。
これに対して委員らは「なぜ記者会見で専門家を同席させなかったのか」と、枝野氏の情報発信方法を追及した。枝野氏はこう弁明した。
「深い専門知識があっても、分かりやすく説明できる人がいなかった。私が発信せざるを得ない状況が続いた」
聴取で焦点となったのは、避難指示が拡大されていった点と、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の公表が遅れた点などだ。
特に、枝野氏が避難指示を発表する際「念のため」という言葉を連発したことについて、被災者代表の委員は「大臣の言葉で右に行き左に行きだった」と述べ「念のために」の避難が今も続いていることへの不満をぶちまけた。枝野氏は謝罪する一方で「ベストを尽くしたつもりだ。今戻ってもあまり違った対応にはならないと思う」と強弁した。
SPEEDIの存在を知ったのが昨年3月15日か16日とした上で「文部科学省に責任もって各部署や各機関が発表している数字を全部集約し整理しろと指示した」と説明した。枝野氏から「SPEEDI情報はどこかで一元化して勝手に出さないように」との指示があったと指摘されていたのを暗に認めたといえる。
原子力安全・保安院が「炉心溶融(メルトダウン)」という言葉を避けたとされることには「炉心溶融はないという印象を与えていたとすれば真意ではない」などと語気を強めながら自身の指示を否定した。
首相の「女房役」としての役割を十分に果たさなかったことも露呈した。枝野氏は事故翌日の菅直人首相(当時)の現地視察や、菅氏が親しい人を内閣官房参与に相次いで任命したことには反対だと助言しながらも、菅氏に受け入れられなかったことを認めた。
弁明を受け、黒川清委員長は「大事な教訓として、変わらないと国の信頼がメルトダウンしつつある」と皮肉を込めて述べた。
枝野氏は陳謝するも弁明に終始 「調整と発信を同じ人間がやるのは正直しんどい」
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2012-06-19(Tue) 00:00 ニュース
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